palm
 

本屋で見付けて即購入を決めたファッション雑誌palmです。
値段もお手頃なのに、中身の写真が凄くファンシーで印象的なものばかり。
女の子の世界がぎっしり詰まっているかんじです。

palmって手の平とか手相の意味もあるのだけれど、
この場合は手の平なんだろうな。

Read more ...
| 15:09 | book | comments(0) | - |
 村上ラヂオ

大学に入った頃から村上春樹さんが好きだ。

なのでananで連載されている「村上ラヂオ」を週に一回、
ワンピースの続きを気にする少年のように楽しみにしています。

この歳では恥ずかしくなってしまうようなananの
「草食形男子の落とし方」だの「今年のあなたの恋愛講座」だのという
スパッと気持ちよいくらいストレートなキャッチコピーにも尻込みせず、
果敢に毎週手に取り、立ち読みするあたりに私の村上さんへの愛を感じます。

はい、怪しさ極まりないのは重々承知しております。

そしてたまに凄くいい内容だと製本されるまで待てないので、雑誌ごとお買い上げ。
そしてそのページだけ切り取ってデスク横のボードに貼付けておくのです。

最近買った回は第82回「本が好きだった」。

「そうか、僕という人間は結局のところ本によってつくられてきたんだな」と実感する。

ちゃんと前後においしい料理の香りのように漂う風趣があり、
この記述の意味も強いものとなるのですが、
人によってはこれが音楽だったり、旅だったり、はたまた異性だったりもするのでしょう。

私自身も何が自分をつくったか・・・
そう考えるとその大部分を本に占められている気がするのです。
いつのまにか、知らないまに本が私の生活の一部を成し始めました。
いつまでも仲良しでいたい、そんな関係を続けたいです。


| 13:54 | book | comments(0) | - |
 リブロ
1Q84の3を読み終え、
サヨナライツカを読み、
今更ながらダヴィンチ・コードを手に取りました。
それぞれが面白く、魅力的です。

一冊読み終えたら、テイストに凄く差があるものを求めます。
カツ丼食べたら、次はケーキ、そして洋食というような差でしょうか?

そして折角旅行に行ったのだから、
なにかしら絵に描き残したいです。

早いなぁ、もう1ヶ月半か・・・

| 15:20 | book | comments(0) | - |
 プロとコントラ
今日たまたまTVを点けたなら、爆笑問題のニッポンの教養
「ドストエフスキーより愛をこめて」というテーマでした。

番組はロシアンレストランで亀山郁夫さんと爆笑問題が
ドストエフスキー談義を繰り広げるというもの。

自分が読んだカラマーゾフも罪と罰も訳者は亀山氏ではないのですが、
先日亀山訳のカラマーゾフの五巻のみを購入しました。
本編終了後、ドストエフスキーの生い立ちと筆者の解説が補足されていたためです。

う〜ん・・・後半15分だけ見たからなのか、
同調を予感する前に終わってしまったという印象です。

後半のトークの大きな着目点は罪と罰の主人公であるラスコーリニコフと、
現代日本で繰り返される
「誰でも良かった」を犯行動機とする犯人には符合するものがあるというもの。

1つの例として秋葉原殺傷事件の犯人を例に挙げていたのですが、
現代日本に浸透しつつある格差社会から生み出される劣等感を伴う孤独感は
インターネットという世界によって逃げ道を得た。
そしてインターネット上では自分の視点を中心に、
ときには自分の身を隠しつつ空漠とした世界が広がる。
そこから己に全能感を抱く人も表れる。
けれども、現実における自分は世間から黙過され、全能感との対比に揺れ動く。
結果、自分は選ばれし人間であるはずなのにという思考が暴走し、事件を起こす。

ここからは太田氏の言葉に変わるのですが、
けれども犯人は自分は選ばれた人間でも何もないことを、
罰せられる身であることで知る、と。
それではある意味社会の濁を犯行の起因としたそれらの犯人に対し救いの道はないのか?

談義の結論は「亀山先生がドストエフスキーを訳し、
世間に浸透させることで処方箋になっている」というようなものだったのですが、
ここが"?"でした。
150年も前に偉大な作家がすでにそのような苦しみに対する名作を作った、
だからこそ前述したような気持ちを抱いた者はドストエフスキーを読め、
ということみたいでした。

最後の最後にはロシアと日本は似ている部分がある・・・などの言葉も
付け加えられていたのですが、それは各々の主観でしかない気がしてなりません。

事件の発端となる材料としての背景には確かに重なる部分はあるかもしれません。
けれども問題は結果。まずは第一段階の結果は小説内では悲惨なものです。
物語上、犯行は行われるのですから。

そして2段階目の結果。
ラスコーリニコフは悩み、苦しみ、罪を認め罰を受けつつ生まれ変わろうとする背景には、
どんなに自分の論理や思考で騙そうと、
彼の根底にはソーニャの愛によって呼び起こされた
ロシアに根付いた信仰心があったからだと思うのです。

信仰心を養った覚えもない、ソーニャもいない、
そのような犯行者に罪と罰は本当に彼らが求めるように写るのでしょうか?

若い頃は誰でも多かれ少なかれ自分の可能性と特別意識に溺れる時期があると思うのです。
自分には主人公であるラスコーリニコフとの最初の背景のみに符号を感じ、
その部分だけを膨らませ物語の進行通りに、
より全能感に支配され犯行に至る可能性もないとは言えないんじゃないだろうか?
そんな気さえするのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は録画していた仁とダ・ヴィンチの番組を見ました。
モナ・リザと白貂を抱く貴婦人を近頃発明された機械にかけることで
500年前の色合いを再現するという箇所があり、
再現された色合いは全く違った印象で驚きました。
色だけで絵は様変わりするんですね。
しかしダ・ヴィンチって本当に得体の知れない人です。
人間だったのでしょうか?

そして最近は久しぶりに本を読み続けています。
本は漫画と違って色々なことを自分自身の想像力を委ねてくれるから心地良いです。

あれからトーマの心臓を読み終え、今はパウロさんのBridaを読んでいます。
やっぱりパウロさんの本は不思議です。
たしかな答えや台詞は見付けにくいものの、
パウロさんの本を読んでいると終始、心の解毒作用になっている気がします。
優しい労りの心は光のように散らばりやすく、
自分本位の負の臭わせる感情は己の体に溜まりやすいとでもいいましょうか、
名作なのですがカラマーゾフで溜め込んだ重さを
Bridaで軽くしたいと思う自分が居るようです。

| 02:00 | book | comments(0) | - |
 カラマーゾフの兄弟
先日やっとカラマーゾフの兄弟を読み終えました。

最初に抱いた感想は自分にはどうにも腑に落ちない、
あるいはすっきりしない読後感が残ったということ。

物語の終わり方があまりにも唐突なこと、
また三男のアリョーシャが主人公であると再三プロローグで明記しているにもかかわらず、
自分にはアリョーシャの影が一番薄く物語中で感じたのでした。

けれどもあとがきを読んでみればその最初の違和感に対する答えがありました。
この物語、未完のままなのですね。
ドストエフスキーは二部構成の第一部としてのこ物語を書いたそうです。
けれども、この一部だけでも
「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」と評されているそうなのです。

この物語における「大審問官」の役割はたしかに重要なものであると伝わります。
そしてここを読むことが物語上、一番難関だったのも事実です。
なんとか読み終えて小説全体に感想を記すならば、
(箇所箇所によっては本当に"なんとか読み進んだ"と言えます)
自分には作者のこの物語における意図を汲み取るだけの知識と想像力、
読解力がまだ足りなさすぎると痛感しました。
一度読んだだけでは自分には内容を掘り下げて熟考し、
自分なりの1つの答えを導き出すことが到底出来ないのです。
(作品を比べるなら、罪と罰は凄く読み易かった)

数ある名作に名を連ねられる本作ですが、
「大学新入生に最も読ませたい小説」
一位として東京大学の教員に挙げられたらしいのです。
けれども果たして20歳未満のこれから人生経験を積もうという若者たちが、
この物語から何かを見つけるがごとく感動をもらえるのかは難しいところだと思うのです。
筆者がこの作品を書いたのは本当に人生の晩年といえる58歳のころで、
この作品の前には五大作品と呼ばれる残りの四作がある。
そしてその四作はきっとこの本作のテーマにつながる足がかりになると思うのです。
それに加え当時のロシアの情勢、
農奴解放によるナロードニキ運動や社会主義体勢への変革、
ヨーロッパにおけるキリスト教とロシア正教会の在り方、
さらにドストエフスキー自身の生い立ちなども掘り下げないと、
自分には到底物語りの深淵には辿り着けない気がしたのです。

深い、深くて重い物語であるとは全体を通して感じました。
そして「心臓を貫かれて」につながるものを感じました。

自分は己が安易に主立ったキャラクター4人に宛てがわれるとするならば誰だろう?
すぐそう考えてしまったのですが、
筆者はドミートリィ、イワン、アリョーシャ、そしてスメルジャコフ、
この4人の内の誰を自分に照らし合わせたのでしょう?
もしくは全ての人格が等分に彼の中にあるものだったのでしょうか?

自分が一番近いと思ったのはドミートリィでした。
イワンは知識者だし、アリョーシャのように"いい人"にはなれない。
かといってスメルジャコフのように虐げられてもいない。
多くの人がドミートリィのキャラクターにはどこか通じるものがあるような気がします。

そして若い方が理論的で頭の回転が早く
無心論者で譫妄症のイワンのキャラクターに惹かれるのはよく分かります。
けれどもスメルジャコフとの一件において、
この物語上、最も利口だったのは彼に他ならないのでは?と感じました。

考えが全くまとまらずじまいですが、
最初に思いついたことをつらつら書いてみました。

どうにかこうにか自分の頭で考えてこの物語を絵には出来ないものかなぁ?

以下、次回読む上で気に留める場所。(メモ)

◯アリョーシャの信仰

◯イワンの罪

◯ドミトリィ・カラコーゾフ

◯ゾシマ長老の腐敗

◯イリューシェチカの存在

◯大審問官

◯スメルジャコフの真意
(スメルジャコフの死は分かりそうで分からない、
 夏目の「こころ」における有人Kの死と合わさる気がする)

| 15:16 | book | comments(0) | - |
 1Q84 読後
今朝方やっと読み終えました。

読者が求める、一般の運命めいた結論で締めくくられがちなフィクション・ラブストーリーとは違い、現実味を感じさせる残酷で救いどころのない純愛物語でした。

あまりにも不確かな現実に於いて、
自分なりの確かなもの、
言うなれば己の意味を手探りで探した2人の物語です。

まだ頭の中は終点を迎えたという感覚が乏しいまま、
とりあえずは今の考えを書きたいという状況なので自分なりの読み解きはこれからどんどん変化して行くと思います。

ネタバレにもなってしまうので、気になる方は続きをご覧下さい。

Read more ...
| 11:17 | book | comments(0) | - |
 1Q84
明日発売する本書なんですが、
著名な作家だからこそ予約せずとも買えるであろうと高を括っています。
そうしたらYahooニュースで発売前から増刷する予約数だとか・・・
買えるかなぁ・・・さすがに少し不安になって来ました。

<追記>
というわけで今さっき閉店間際の本屋に電話をかけたら、
今日から発売しているそうじゃないですか。
CDに関わらず、本も大体前日発売なんですね。
折角なので念のため取り置きしていただきました。

今の時代、アマゾンなどで検索し、
手早く確実に家にいながら本やCDを買えるのですが、
自分は未だに本屋やCDショップに行って買うのが好きです。

特に本屋は本を買うまであの空間に浸ることが好きなのです。
雨の日にはより本屋に行きたくなります。
紙の匂いがより強く感じるというのでしょうか、
しっとりとした雨の日に本を読む行為が格別なように、
雨の日の本屋には独特の雰囲気があると思うのです。

そう考えると、もうすぐ梅雨ですね。
走れる日も減るはずだから、
そんなときは散歩で本屋に行くか読書を満喫しようっと。

でもまずは1Q84!明日買って来ようっと♪

| 20:15 | book | comments(0) | - |
| Log in | RSS1.0 | Atom0.3 | page top |
Graphic by Joujou, Template by Bambi
(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.